祖母井さんからみた オシム論
2005.10.9
北信越クラブ新人フェスティバル講習会
オシム監督のサッカーを語るには、オシム監督がどう生きてきたか!を
知ってもらわないと理解しにくいので、その
オーストリア国籍・ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ生まれ
1990年イタリアW杯 旧ユーゴスラビア で ベスト8
サビチェビッチ・ヤルニ・ プロシネチキ・ストイコビッチ・シューケル・ボグシッチ
このときのユーゴは多数派民族だったのでいろいろな問題をかかえていた
そして民族どうしの確執がありこのときのユーゴのメディアにはサッカーを
語れる人が少なかった。
このようなこともありオシム監督は、つまらない質問には答えられない。答えない
スタンスをとっている。
2003年 『茶野が調子悪い』とメディアがつまらない質問をしたとき
みんなに聞こえないように小声で
近くにピストルがあったらお前の頭を打ち抜くぞ! と言ってみたり
清水戦でメディアがつまらない質問をしたときには、
そのときオシム監督は 『石を投げられた気分だ』 とコメントをした。
今マスメディアによって、サッカーというイメージがまちがった方向に導かれて
きているのではないか?
オシム監督はそのことを危惧している。
イタリアW杯準々決勝 0−0 1人退場していて PK戦 相手はアルゼンチン
このとき監督はベンチにいなかった。
ここまできたら、オレの仕事ではない とロッカールームにいた
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なぜ? この場面で一番大事なのは選手だから
だからこのようなコメントができる?
ユーゴスラビアチームには、いろいろな民族が集まっていた。
1992年ヨーロッパ選手権 民族戦争で制裁をうけて出場できなかった。
(代替出場のデンマークが優勝した)
オシム監督は民族間の問題をサッカーチームにもちこまれないように常に配慮していた
ボスニア戦争がはじまり 奥さんと子供(アマル)と離れ離れになり
約3年間会うことができなかった。 不定期にアマチア無線で連絡を
とっていた
その間 ギリシャで監督 オーストリアで監督
内戦からに戦争になり、あるとき瞬時に家庭がバラバラになってしまった。
そして3年の月日
これらの体験から
オシム監督は、トレーニングメニューがどうとか 練習する とかいう以前に
指導者として 指導者が いままでの自分の人生を
どう 生きたか? どうとらえてきたか そして どうとらえているのか!
ということに向き合ってほしい。そしてこれまでのいろいろなことを大切にしてほしい
オシム監督のDVDをつくった。本(12月に)も出版予定。(オシムの言葉フィールドの向こうに人生が見える)
監督にビデオなんかとってどうするのか? みんなの参考にならない とおこられた!
そして、オレは関知しないから すきなようにやれ と言われてビデオを作製した。
祖母井さんはどうしてもオシム監督を資料として残したかったので
無理してつくった。
オシム監督を監督に迎えるまでに
2002年 12月 1ヵ月間毎日 30分 電話した
2003年 1月16日に直接会いに行って返事をもらった?
(このときジェフ以外のJリーグのチームは監督は決まっていた)
実際 オシム監督が合宿の宿のドア(韓国)をあけるまでは、胸がしまるおもいだった。
不思議なことに、オシム監督にはじめて出会ったのは、1990年1月17日だった
オシム監督がきて初めの日
監督の部屋は 2Fにある
前日ミーティングで、次の日の練習を決めていた。
監督はこない
当日の練習前のミーティングにも、監督はこなかった!
いくら待ってもなかなか監督はこない!
クラブハウスから外をみたら、監督はグランドにいた。
もうコーチはパニック
こんな混乱が3ヶ月ぐらいつづいた。
そしてトレーニングのなかで オシム監督は

まず 書くな!! 電話番号は書けば10件ぐらいはそのときはおぼえている
でも 今はわからない。 だから
まず理解することが大切 !
そして、なんで 今日 明日のミーティングをしなくてはいけないのか?
明日 体調の悪い選手がいるかもしれない
天候もわからないし、なんかアクシデントがあるかもしれない。
それでも、はじめのプラン通りなんでもやるの? それはきっと
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うまくいかない
まず 選手だろ !!
ドイツでは指導案を書く。でも当日 選手の様子を見たり天候等みて 変えていかないといけない!
練習も 説明して、理解させてスタート。
そうすると選手は全部説明を受けてしまい、考えなくなってしまう。
だから何も言わないで練習をはじめる。
最初は、コーチも選手もわからないでスタートするのでパニックになる。
でも3ヶ月もしてくると、 よく話を聞いて 考えるようになった。
これには選手個々にいろいろなとらえかたがでてくる。
ビブス 7色をつかってのトレーニングでは
選手はパニックになった
選手が どのような役目をもっているか
自分で感じて判断する
これが日本のトレーニングのなかでなくなってきている
監督から シーズン前 登録32名 今シーズン全員必要だからな と言われた
(優勝あらそいのとき30名を使った。)
Aチーム・Bチーム・Cチームと普通はわけるが、それは人間を分けてしまう
おそれがある。
だからトップ・サテライトと区別しないで ひとりのプロ選手として32名を扱った
また、2003シーズンは 監督は選手を知らない
練習のグルーピングは A・B・C の日替わりのグループをつくった
これは3年たっても いまも一緒 (試合前2日前には試合にでそうなメンバー
でグルーピングすることもある)
こうゆう細かいところまで監督は、気配りをしていて、すごく配慮している。
オシム監督のサッカーでは全員が一緒にトレーニングしているので、選手がかわっても
やっている・目指しているサッカーに影響はでにくい。
東京オリンピックのとき日本にきて、そのとき受けた日本人のもてなしに感銘をうけた
監督が日本にきた当時よく言っていたことは
サッカーになると日本人は配慮がなくなってしまう。
生き方では日本人は他人への配慮が民族の特徴なのに、サッカーやゲームになると
右行け とか いろいろと命令をする。
指導は機械的になってはいけない。 選手と指導者は
ひとりひとり違う
学べ! 学べ ! 学べ !
走れ! 走れ ! 走れ ! 技術・戦術・体力
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すべて一緒
インテリジェンスがいる
相手がいる・スペースがある
走るときも 創造性がいる。
(走りのインテリジェンス・
動きのインテリジェンス)
監督が来てフルコートを使っての6vs6
動けなかった
なぜ
状況をみなかった。感じなかった。
機械的に走らせることはない
サッカーのゲームにはそんなことはない
オシム監督はすごく走らせると言われているけど
2003年シーズンは 休み 2〜3日
監督がくるまでは 土曜日 ゲーム・ 日曜日 練習・ 月曜日休み だった
監督は 土曜日 ゲーム・ 日曜日 練習・ 月曜日 18:00から練習
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24hあける(これが休み)
シーズンおわれば休めるし、プロやめれば休める。
2005年 公式試合・サテライト以外 約90試合をした。
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毎週水曜日はゲーム(2試合)
日曜日Jリーグのときは木曜日 結果をとわれないプレシャーもないなかで
そういう結果をとわれないゲームのなかでサッカーというゲームのいろいろなことを感じとらないといけない。 紅白戦では仲間とやるのでプレースタイルがわかってしまう。
新しいチームいろいろな相手とやると、いろいろなタイプとゲームできるので経験になる
IFCケルン の バイスバイラー 4vs2 日本では遊び
でもドイツではトレーニング
トレーニングは 試合のために練習するのに 日本は違う
でもジェフは違った!! アントラーズも これはジーコの影響
オシム監督がきてトレーニングをはじめて そしてトレーニング強度を
高めるほど、ジェフの選手は怪我をした。
それは今まであまりにもトレーニングが試合の雰囲気と違いすぎていたから!
また、ジェフはボンミスが多かった。
サッカーは一瞬で勝負がきまってしまう。
監督は 『おまえら電車乗って寝てるよな。ヨーロッパでは電車の中で寝られない
寝てたら、どろぼうに荷物とられてしまう。』
サッカーもおなじ
『ハッ!』とした瞬間 終わり 勝負が決まってしまう。
2004年 茶野 日本代表に選ばれ ポーランド戦・ルーマニア戦
監督に帰ってきてすぐ
あんなミスしたらあかんよ! はい練習
水野・水元もワールドユースから帰ってきて次の日から すぐ はい練習
選手のプレーをTVで見ていても選手には見ていないよ!とわからないようにして
いるが、ふっと一言伝えたりする。
監督は選手が怪我しました。
土曜日Jリーグ 水曜日練習ゲーム 日曜日Jリーグの時 木曜日練習ゲーム
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直りました
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このゲームで90分やってみんなに認められたら
それで すぐ 使わない はじめてJリーグのゲームに使う
巻がしばらくゲームにでていなかったのは、このゲームがよくなかったから
オシム監督
FWのハースとは7年一緒
監督は選手を 絶対にほめない (言葉ではほめない)目ではほめている。
エゴイストは嫌い
だからダイジェスト・マガジンではジェフの選手全部の写真をのせてほしい。
ひとりではサッカーはできないから
チェヨンス わがままだった でも練習はよくやる
ジェフではホームゲームで勝つと監督賞を選手にあげている
ハットトリックを2試合やったのでGMの祖母井さんが監督賞をあげた
でも監督におこられた チェヨンス より 倍走っている選手がいる
倍守備している選手がいる
それを評価しないでどうする。
対マドリード戦
監督 25名だしたい 事前会議で22名になった
オシム監督は祖母井さんに、お前が22名と決めてきたので
お前が22名きめろ! と言われ 3日かかってやっと決めた
今年トルコでキャンプ 去年は熊本 キャンプ前に2部練習をおこなった
熊本キャンプは毎日ゲーム
スカウトは 候補者4名を合宿に入れたかった
監督に相談 おれにはできない
この4名を入れるとキャンプ前の2部練習を
がんばってきた中から4名をはずさないと
いけない。
そんなことはできない!だからできない
オシム監督はほんとうに選手ひとりひとりをしっかりと見ているし大切に考えている。
監督は魚大好き 料理大好き
練習後 いつもジャージ姿で買い物をしている。
そして試合後はいつも必ず祖母井さんと食事をする。
シーズン中 怪我とかで使える選手が19名 DFがいなくなって
しまったときがあった。
シーズンは長い ちょっと考えろ!
選手がその状況をキャッチしないといけない
ここで坂本がDFをやることになった このときジェフは2位になった
オシム監督は 契約書にサインしたのは ジェフだけ
いままでは会長との信用だけでやっていた。
今 祖母井さんが 監督の契約書やお金を管理している。
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おれはお金の為にやっているわけではないというのが信条
監督は
私は選手の真実は語れない
オシム監督が選手をほめるといろいろと影響力もあるので
契約金があがってしまうおそれがある。
だから 選手のことをかんたんに話をすることはできない
今のオレはプレーヤーのときのこととは逆のことをしている。
(きっと走らなかったんだろうな)
また監督は
今の日本は人の部分がおかしくなっている。
と感じている。
子供がおかしいと言われているが、大人がおかしい
指導者に創造性がないと、子供に創造性はできない!
指導者のイメージをおしつけることはごり押しになってしまう。
指導者は選手が自分で 出来ること
できないこと を 考えられるように導いて!
監督のサッカーは 選手から教えてもらっている
チャンピョンズリーグ・代表のゲームの中からさがして、解決してくる。
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ジェフのトレーニングにもどしてくる
トレーニングを考えるには
観て、自分でつくることが大切
監督は、ビデオはみない。夜中にタイムリーでサッカーのゲームをみるので
いつも寝不足でコンディションは悪い。
いろいろな瞬間を感じたい。
● 日本人は白黒をつけたがる。
フリーズ・ストップ 危険だよ
子供がとめられたら、たのしいかな!!
形にはめていないかな
●
サッカーというスポーツはリスクをおかすこと
プログラム通りにはいかない
そのリスクをおかすことに、責任をもたないといけない
いま日本はすごく管理されている
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ライセンス
現場の状況をわかっていない
ライセンス取得にかかわる理論 これがすべてではない
ライセンスを取得することは指導者としてスタートだ!
オレはライセンスも大事だけど
選手がプレーすることがすごく大事 選手がプレー
するイメージをつくる
ゲームを観ること スタジアムで TVで
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録画をみない
今その瞬間を見たい・感じたい